瞑想の探求
時には
神々しい 美しい
得もいわれぬような
初めて智るような
とてつもなくありがたい
無上のエクスタシー・・など
色々な体験を味わうこともある
美しい何か
なにものにも代えがたいような何か
それらを体験した時・・
即座にマインドはそれをメモリに記憶して”自分”のものにする
そして”わかったつもり”になる
そうしているうちに
メモリに記憶してあるような
同じような場面がまた目の前にやってくる
その似たような場面
それは全面的に新しい体験
だが
マインドは過去を持ちだして
その記憶されたメモリを元に
以前の体験を投影する
そしてその再現を期待する
しかし現実である”今”は
目の前に現れる”今”は
いつも新鮮で未体験の”今”は
過去のものと似て非なるもの
全く違う新しい何かだ
そして
今起きている”それ”は
生き生きと生命に満ちあふれ脈動している
過去のもの・・
蓄積された過去の記憶
マインドのメモリー
それは干からびた標本のよう
生気のない
脈動のない
死んでいるものだ
こと宗教的探求の旅では
いつもマインドは厄介者になってしまう
過去とそれから連想される未来しか手の内にはない
活き活きと脈打つ
大いなる生命のエネルギーに溢れた”今”に触れることさえできない
しかしマインドは恐怖する
しかしマインドは不安にさいなまれる
この脈動する活き活きとしたエネルギー
只今ここにある光り輝く生命を
自らの手の内にない
コントロール不可の見知らぬ生命
次に何が起こるか決して予測できないダンスに
恐れおののき震え上がる
そして
懸命に抵抗する
光明の世界に生きることを
懸命に抵抗する
真実の世界に生きることを
懸命に抵抗する
自らを解放し
大いなる安らぎに生きることを
自分が
マインド自身が
消えてしまうという恐怖
この恐怖と戦う術はない
しかし
それを観たとき
それを観照することができたとき
本来の面目
本当の自分
そう
ここにある
本性は
仏性は
それらマインドたちを
遙かに超越しているという
真実を智ることができる
これこそ
自らが生まれ持つ光明
時と空間を超えて在り続ける生命
ひとときも離れたことのない無上歓喜の世界
まさに
”これ”を思い起し
大安心にくつろいで
飛び上がって狂喜するかもしれない
笑うかもしれない
泣くかもしれない
歌うかもしれない
ダンスを踊るかもしれない
kuuhaku
kuuhaku