他力はエゴから見たらある
じぶんはハナからマボロシよ
そらまあとうぜん他力もない
自力も他力もただのユメ
自分がいない そらそうだ
ましてや自力のあるわけない
ナムというエゴがアミダに帰ります
ナムというワタシがアミダに消えている
ナムアミダブツはホトケのみ
抱かれてたと思ったら
ふわっと消えてナンマンダブツ
われもなければあなたもいない
ただただひとつのナムアミダブツ
他力も自力も消え果てて
ただただひとつのいのちかな
すくいすくわれ たわむれる
たわむれ ナムという遊び
ワタシはあなたで アナタはわたし
どちらでもないものだもの
ユメのなかのお遊びは
わらってないてナンマンダ
何万何億ユメマボロシのココロに映るドラマかな
眼がさめてみりゃごくらくか
真如か空か 無か涅槃
なにもないとこ めでたいな
ナンマンダブツ ナンマンダブツ
kuuhaku
この詩がやってきたので、ひとこと書きたくなったです(笑)
「他力本願」えらく誤解されとります!
この他力本願という言葉・・
カワイソウなくらいに誤解されて使われています。
「あのねぇキミ、幸せというものは自分の力でつかみ取らないとダメなんだよ、なにやってんだよ〜、タリキホンガンかよ・・そんなこったからいつまでたっても出世できないんだよ〜」
あるいは、スポーツ中継見てるとですよ。
「やっぱりタリキホンガン的な考えで通用するほど、この世界はアマくないですよ。ちゃんと自力を養っていかないと試合には勝てないですからね」
みたいな感じ・・っはは!
他力本願は相当ワルモノにされています。ほとんど同義語は「棚からぼた餅」みたいな・・。
いやはや・・
言ってみれば、本来の意味からかけ離れ、”ホントはこの上なくありがたいことを意味しているにもかかわらず、世間一般ではネガティブな使われ方をされている言葉ランキング”のトップに常に君臨(?)しているといっても過言ではないかもですね。
他力というのはホトケ(阿弥陀仏)のチカラで、本願はこの場合サトリの成就(極楽往生)を言うわけです。
ですから、他力本願とは阿弥陀のチカラによってサトリを得ましょう!ありがたいことですね!
・・ということなんです。
もっと詳しい記事がこちらにあります↓
「他力のお話」
https://funkymonktemple.com/essaybook/tarikihanashi
よろしかったらどうぞ!
kuuhaku