究極の道楽、瞑想の話

笑うブッダ

 ワタクシは申し上げたい!瞑想こそ究極の道楽ですよ〜ん!

やっぱり究極でしょう!!!
自分の内側に入って本来自分が持っている永遠の命とゆうか、生命の源泉を探し出して無上の喜びに酔いしれちゃおうってんですから!
でも禅とか瞑想なんて言うとなんかすごくストイックに修行したり禁欲したりして、滅茶苦茶ちょーきびしいことを自分に強いなければいけないとかいう一般的なイメージがあって「ちょっと自分にゃむいてません。」なんぞと思ってらっしゃる方が多いと思います・・・。

 我が師OSHO(和尚)が教えてくれた「観照(見ること)」というシンプルな瞑想法

でも、少しでも興味があってその世界をのぞいてみたいとお考えの人にはグッドニュースをお知らせしましょう。
その古来からある重苦しいイメージを完全に覆して、現代人の生活や心理的状況に即した瞑想のテクニックを創ってくれたヒトがいるんです。
そのヒトこそ拙僧の師であるOsho(和尚)と弟子から呼ばれているインドの覚者であります。
拙僧はこの人の本に載っていた「瞑想とはただ観ること(観照)」というえらくシンプルな言葉に光を見出し、導かれるまま自分を観ることを始めました。
最初はあまりに単純で「ナンダカヨクワカラン」といった所でしたが、始めて3ヶ月位過ぎた頃からその効き目(?)が体感できるようになり、今まで味わったことのない内側から湧いてくる理由の無い歓喜、至福を感じ、解放感を得ました。宇宙に溶け込んだような、自分というものが無くなってしまったような不可思議な体験をしました。
ず〜っと求めてきても得られなかったものがいとも簡単に起こってしまったのでありまして、それは今でも毎日起こり続けていて、益々深くなってきています。
付け加えて言えば、まあこれはおまけみたいなものですが、ストレスは無くなるし、運は良くなるし、元気にはなるしで今ではそのご利益(!?)の物凄さにすっかりトリコになってしまった拙僧であります。

そう、ただ単純に「観る(見る)」ことだけなんですよ、これが!!!
え〜!!!そんなうまい話があるわけないと思うでしょ。まあこれは体験してみないとちょっと信じられないとは思いますけどね・・・。

ブッダ
       見るって何を見るのって?

Oshoによると「何を」というのは問題じゃなくて、自分の内側に入りなんの判断も入れず(良いとか悪いとか好きとか嫌いとか)自分の呼吸や心、感情や体、はたまた自分の周り(外側)で起こっている事、音、匂い、感覚等ありとあらゆるものをただ「観る」という事なんだそうであります。
この「観照」というものを基盤にしてOshoは色んな違ったタイプの人に合わせた数多くのありとあらゆる種類の瞑想法を創り、我々に説いてくれています。
このOshoという人に関して詳しく知りたい人はホームページがあるのでそちらをご覧ください。

           


  Osho website