ヒグラシの歌

 盂蘭盆会に寄せて

平成17年夏

お盆の頃になると、明け方や夕方、よく耳にするのがヒグラシの声です。
拙僧は、このヒグラシの声が大好きで、これが聞こえると耳をそばだてて聴き入っています。
このヒグラシ、子供の頃は、夏の中頃以降によく耳にしたものですが、地球の温暖化の影響でしょうか?近頃は7月の初め頃にも耳にすることがありますね。
子供の頃と変わらない、あの涼やかな、なつかしい「歌声」を耳にするたびに、何とも言えないしみじみとした、胸の奥が癒されるような感覚に今でもなります。

蝉はこの地上では、1〜2週間の命だといわれていますが、あの美しい切ないような「歌声」は昔も今も変わらないで私たちを楽しませてくれています。
個々の蝉は、短い命ですが、ヒグラシをヒグラシたらしめているもの・・その命の底流に流れるものは、なにも変わることなく流れ続けている・・。
あの美しいヒグラシの声は、なにか私たちの本性である永遠の命「仏性」の姿を示唆しているような感じもします。

今はもう肉体を離れ、何処かに消えてしまったかのように見えるなつかしい人々・・、そして、かたや肉体を今も持ち、いつかは消えていってしまうという不安を抱いている私たち・・。
しかし、心を落ち着けて、この「個」というものを離れ、人間を人間たらしめている命の源泉を探してみると、そこには「吾」と「汝」の境界線などを超越した「ふたつではない(不二)」の生命(宇宙生命とでも言いましょうか)、ただ一つの命がそこにあります。
まさにこれこそが、私たちの本当の姿である「絶対なる存在」であり、これこそが、あみださんの本体でもあり、まさに無量(無限)の光、無量(無限)の命そのもの・・生まれもしない、死にもしない(生死を超えた)・・本当の私たち・・ということになります。

科学が発達し、多くの知識を手に入れた人間は、自分たちを、ただ肉体やら脳みそ等から構成されている物体と思いこみ、人間が本来手にしている「永遠なるもの」の存在を忘れてしまったかのようです。

あみださんは、此処にいる・・只今此処にまさに在る・・
なむあみだぶつ、なむあみだぶつ・・念仏の瞬間、私たちは忘れていた自分の本当の姿を思い出す・・。
念仏・・それはまさに、あみださんの呼び声であり、あみださんが、この口を使い、真理の目覚ましを鳴らしてくれている・・。
そうです、まさにこの瞬間、自分は永遠の存在だということを思い起こさせてくれる、大慈悲がもたらした方便(方法)なのです。

肉体を持つ者と持たない者の別を超え、「なむあみだぶつ」を口ずさみながら、自分の本当の故郷である仏性、あみださんの世界を思い起こし、帰郷されてみてはいかがでしょうか・・。

あの世がこの世・・この世があの世・・永遠生命の住むところはまさにひとつです。

                       合掌  大乘